様々なところで「健康は大事」ってよく聞きます
「もちろん、そんなことはわかってるよ!」
「でも、夜ふかしや偏った食事とかで健康に気を遣ってない・・・」
僕も含めて、そういう人はたくさんいます
「健康」を意識した心構えってなかなか難しいですよね
そんな人に僕の母が遺してくれた言葉を、僕の腑に落ちた経験を踏まえてご紹介します
この言葉を痛感した出来事
僕は大きな怪我や病気をしたとき、必ずこの言葉を思い出します
多くのYouTuberや経営者、成功したと言われる人たちもアスリートも軒並み同じように「健康は大事」と言います
でも、この言葉をしっかりと心にストーンと落ちてくることって意外と少ないと思います
というか、怪我や病気とか辛い時期が過ぎると忘れてしまいます
僕がこの言葉を痛感したタイミングはいくつもあります
その中でも強く印象に残っている出来事をお話します
僕は高校2年生の時、右の膝蓋骨(しつがいこつ)を亜脱臼(あだっきゅう)しました
簡単に言うと、膝関節にあるお皿部分がズレることです
修学旅行というものはほとんど行かなかったのですが、思い出に残そうと参加した高校の修学旅行の初日にお皿がズレました
真夜中の馬鹿騒ぎ中に起こった出来事で、夜中に叩き起こされた町医者は僕にキレてました
それから僕はギプスを嵌めて、4泊5日のスケジュールのうち4日間はずっと旅館の部屋にいました
食事も食堂に集まってみんなで食べる中、自分だけは部屋で一人で食事を済ませました
お風呂も入れず、たまたま小部屋のグループでトイレがついていたのもラッキーでした
松葉杖で歩くことさえままならない状態のまま数ヶ月を過ごしました
時間が経てば慣れはしますが、不便なことは不便なままです
もちろん出来ないことはたくさんあったし、「手に何かをもって歩くこと」「スッと立ち上がること」「靴下を履いたり脱いだりすること」が出来ませんでした
トイレでお尻はなんとか拭けたので、そこは不幸中の幸いです
床にあるゴミを拾ってゴミ箱に入れる
そんな当たり前に出来ることが出来なかったことは、不便だし情けない気持ちでいっぱいでした
そんなとき、母が日頃から口にしていた「人間、身体が資本だからね!」の言葉を痛感しました
母はどんな人だったのか
僕が物心ついた頃から、すでに病気を患っていました
膠原病(こうげんびょう)というもので、「感染症」のような一つのジャンルを指す言葉のようです
子供だった自分には、その病気がどんなものなのかは知りませんでした
今となっては、具体的な病名は聞くことさえ出来ません
母は治すことが出来ないようで、症状を和らげたり進行を遅らせたりする薬をいくつも服用していました
薬の副作用のせいなのか、いつも頭や指先が痛いと言いながら家事をこなしていたのを覚えています
そんな母は、自分が中学校ぐらいになると具合が悪化し、入院と退院を繰り返すようになりました
元々、毎週病院に通院していたので「行き来する手間が省けて楽になった」と言っていました
そんな入院中の母親が僕に手紙をくれました
2枚の便箋に書かれた手紙の最後には「もっと色々お話したいけれど、お母さんは疲れちゃいました・・・」とあります
今思えば「手紙を書くときに指先が痛かったのかなぁ・・・」なんて考えます
母が幼い頃に抱いていた夢は考古学者だそうです
もし健康なら、世界を回って化石の発掘作業がしたかったと言っていました
「人間、身体が資本」の意味
【人間、身体が資本】という言葉は、字のごとく「身体が健康だから多くのことが出来る」ということです
今、当たり前に出来る動作も、健康だから出来ることです
頭でわかっても心で納得することは難しいです
試しに、利き腕を使わずに食事をしてみてください
箸やフォークを使うことが難しく、食器を持ったり抑えたりすることは出来ません
こぼしたら箸をおいて広い、汚れた手を拭くのも片手で行わなければなりません
食器を運んだり容器を捨てることだって、全て片手で行う必要があります
片手だけで食事を済ませる
これだけでも多くのことが不便に感じます
当たり前に行えることが出来ず、更には「当たり前が出来る人」が不平不満を漏らすを羨ましく見たりする
そして、出来ていたこともちょっとしたことで失敗してしまう
こういったことで心が疲れてしまいます
やる気も削がれれば、身体も追いつかなくなってしまいます
こうやって負のスパイラルに陥ってしまいます
そうならないために、日頃から心と身体の健康が大切です
栄養バランスや運動、そして夜ふかしをしないなどの日頃の行動に気を遣うことが肝心です
普段から、辛いときや苦しい時のために備えて、余裕のある行動をとれれば最高です
人間、身体が資本
この言葉が皆さんの役に立ってくれれば幸いです