先生「真面目なやつは売れない。売れるのは、集中力が高くて遊び心のあるやつ」
僕は演劇の人間として、演劇事務所のレッスンを受けていたことがあります
そのときに教わったこの一言が、今でも忘れられません
「真面目ってなんだろう?」
「集中力?遊び心?それって何?」
衝撃と同時に、その言葉を何度もリフレインしては自分なりに考えてきました
その教えについての僕なりの解釈をご紹介していきます
- 真面目ってなに?
- 『集中力』は『真面目』を越える
- 「真面目は駄目、集中力の高い遊び心のあるやつが良い」といった先生曰く、集中して臨めばどんなこともベストパフォーマンスが出せるし、いいアイデアも出るそうです
- 『遊び心』は『想像力』
- 結局、集中力の高い遊び心のあるやつが最強!
真面目ってなに?
僕は自他ともに認める「真面目」です
当たり前のことを当たり前のようにやっているだけなんですが、セリフを忘れたり役作りをしてこない役者のほうがよく「面白い」と言われます
まじでムカつきます
だからこそ基本的に自分が出来ることは文句を言われないように頑張ります
台本のセリフに誤字脱字が合った場合、それを完璧に覚えて稽古中にぶっ放します
怒られますが、台本を見せると「大葉は融通が効かないのか?」と怒られます
とあるアフレコの現場でも、30文字を5秒ほどの尺で言い切らなければならないときは聞き取れないのでセリフはカットされます
しかし、僕はめちゃくちゃ練習してギリギリ聞き取れるレベルに準備して臨みました
結局、尺が足りずになかったことになりましたが、現場では「出来なくてもいいですよ」と言われても頑張りました
それぐらい真面目です
そんな僕は比較的に喜劇が評判が良いんですが、演劇のスタッフや共演者からは「真面目だね」と言われ続けます
僕の理想は「普段はチャラチャラしてるのに、いざというときはビシッと決める人」なのに、「大葉さんは根っからの真面目だからね」と言われます
すごく不本意です
いつから僕は真面目なんだろう・・・
そう考えると、小学校時代のことを思い出します
小学校高学年だったかのとき、僕は英会話教室に通っていました
そのときに何をしたのか、英会話教室のクラスメイトに何かを誘われたときに「怒られるから、良くないこと」ということで断ったことがあります
そのときに言われた言葉が
「お前はバカ真面目だな!」
でした
言われた内容は全く覚えていませんが、家に帰ってそのことを母親に話しました
その時に母が
「バカ真面目で何が悪い!」
と怒っていました
何が正解かはわかりませんが、そのときは子供心に「真面目って悪くないんだ、これでいいんだ」と思ったのは今でも強く覚えています
もし今の僕も真面目ならば、この言葉が僕の心に強く残っているからだと思います
実際に「チャラチャラしてるように見える人も、実際は心の奥で真面目に考えてるんだ」と勝手に想像してしまいます
いろんな経験を積んでいって、真面目は損をする役回りだと思うようになります
それでも、どこかに真面目でいることへの安心感はあるんだと思います
「真面目」が自分のアイデンティティとでも思っているんでしょうか?
今まで「真面目で損はない」と思っていました
セリフを覚えたり役作りしたりといった事前の準備は、間違いなく時間と労力をかけなくてはいけません
そして演じるときや前後の時間でも、自分の事や周りのことに意識を向けながら役割をこなさなくてはなりません
そういった面倒くさくてやりたくないことを可能にするのは、間違いなく「真面目」だと思っていからです
セリフ覚えが悪くて読解力のない自分が演劇に臨めるのは、間違いなく「自分は真面目なんだから」という支えがあったからです
思春期のとき、あらゆることが苦しくて真面目でなかった時間があります
堕落した生活を送っていましたが、何も満たされることはありませんでした
責任感に後押しされて物事を終えたとき、僕は達成感を感じました
でも、演劇を始めてから「真面目は損な役回り」だと思うようになりました
「僕の演技がもっと面白くなるにはどうすればいいか?」をあらゆる先生に片っ端から聞いていたときがあります
そんなときに苦い顔で言われたのは「遊び心を意識すると良いよ」と言われました
「遊び心」がわからない僕は「それってどうすればいいですか?」と聞いたら「う〜ん、大葉は真面目だからなぁ」と言われました
「真面目」は世間一般では悪いイメージはありません
ですが、演劇において「真面目」とは決していいイメージではありません
例えばですが、人柄が良くてもパフォーマンスが悪い人がいます
会社では人柄がにじみ出る場面がありますが、演劇ではそういったシーンは基本的にはありません
どんなに真面目でいい人でも、演技が下手だったり面白い演技が出来ない人は必要ないのです
もっと言えば、演技がリアルであるよりも、作品を面白く深みのあるものにしてくれる役者のほうが需要があります
究極に言えば、お客さんを呼べる役者こそ需要があります
演技はおろか、人柄なんてどうでも良いんです
売れてないけどめちゃくちゃ演技が上手な劇団員よりも、アイドルとか芸人さんがドラマや映画に出てくることの理由の一つがコレに当たります
(これらの人が『人柄が悪くて演技が下手』とは言っていません)
『集中力』は『真面目』を越える
「真面目は駄目、集中力の高い遊び心のあるやつが良い」といった先生曰く、集中して臨めばどんなこともベストパフォーマンスが出せるし、いいアイデアも出るそうです
実際にそうだと感じたことがたくさんあります
舞台公演を行っていて必ず起こるのがアクシデントです
見ている観客の人は気が付かない人もいるみたいですが、基本的には舞台裏や表を問わず、何かしらのトラブルが起こっています
何度も練習していたセリフが飛んでしまったときは、他の役が代わりにセリフを言ったり他のキャラクターにセリフを誘導します
段取りとは違う出来事が起こったときは演出家の指示やその場の人が、段取りを少し変えて進行させます
公演中に照明の電球が切れたときは、予備の照明や今使える照明で無理くり間に合わせます
鳴るはずだった音響の音がならなかったときは役者がパントマイムでごまかしたり、他の音響でフォローします
これらはすべて、集中してこそ出来ることです
真面目であったところで、融通を利かせられなければ何も出来ません
本番前に突然セリフが変わることだってありますし、突然に練習していないことを要求されることもあります
そういったときに必要なことが「真面目」ではなくて「集中力」なんです
逆に言えば「真面目」で出来ることはすべて「集中力」で出来ます
短い時間でもセリフを覚えることだって出来るし、限られた時間でも役作りも可能です
『遊び心』は『想像力』
遊び心ってなんだ?
そう思って10年近く経ちます
僕なりに出した結論は、「余裕を持ってハジけること」です
「みんなと同じことをしても、みんなと同じことしか出来ない」というのはよく耳にします
突拍子のないことをしたり、今まで考えたこともないようなことをするからこそ新境地が切り開かれます
Googleの検索エンジンでは、Googleの文字が頻繁にフォントが変わっています
そしてゲームだったり面白いギミックが用意されていることも多いです
それらが話題になって、集客性や話題性を呼びます
Googleにとって最高の宣伝になるわけです
今では当たり前の思考ですが、企画が上がった当時はこういった思考はあまりなかったと思います
まだ「バズる」という言葉も無いですからね
でもコレを考えて企画して、上層部がGOサインを出したのも、きっと遊び心があるからだと思っています
「間違って怒られてもいいかぁ」という余裕がなければ突拍子の無い意見は出せないし、「ふざけすぎたかな?」ってぐらいの意見が受入れられることだってあります
新しいアイデアを出すのには勇気が必要ですが、その勇気の源こそが「余裕を持ってハジケルこと=遊び心」だと思っています
昔、演技は下手くそでも人を魅了する演技をする人がいました
その人は与えられた役はこなすことが難しかったのですが、アドリブがピカイチに光っていました
多くのお客さんを一瞬で引き込み、ドッと会場を沸かせます
作品に関して必要のない役どころを与えられて、会場を温める役割です
もちろん、大成功です
冷めてきたら温めて、必要なときは引っ込める
演出や作品性については置いといて、お客さんの満足度は高いものになっていました
肝心の僕は、ウケもしない真面目な役割をこなしました
お客さんの記憶には残らず、作品内では重要な役割でしたが作品としては空気でした
演出家やスタッフからは痛く褒められましたが、これは果たして役者として成功なのでしょうか?
むしろお客さんの期待は面白い役者に集まるのは目に見えています
要は作品として必要なのは僕ですが、お客さん的には僕は必要ないってことなんです
普通では考えられないことですが、これこそが僕が目の当たりにした事実です
結局、集中力の高い遊び心のあるやつが最強!
どんなときでもハジケて良いわけではありません
例えば、お葬式に不謹慎なギャグを言えば親族の気分を害します
でも、節度を持ってギャグを言える人は、お葬式でもムードメーカーになれます
自由な発想を阻害しない柔軟さ、どのレベルまでハジケても許されるかを判断する経験値、そしてそれを実行する勇気
これらの3つこそが、先生の言っていた「集中力が高くて遊び心のあるやつ」だと思います
どうすればそうなれるのか?
それは僕も悩んでいます